40代と思えない若さ、美しさで今も大活躍中の内田有紀さん。
内田有紀さんについて調べると、20歳離れた妹さんがいることが分かりました。
また、訳ありと噂されている内田有紀さんの生い立ちについても調べましたのでご紹介します!
内田有紀の生い立ち
内田有紀の生い立ちについて、Wikipediaにはこのように載っています。
東京都広尾生まれ、裕福な家庭に育つ。母親が20歳の時に生まれ、後に離婚再婚し自身が20歳の時に妹が生まれる。
Wikipediaより
東京都渋谷区広尾は、高級住宅街で、裕福な方や多くの芸能人が住む町として有名です。
内田有紀さんのご実家も、父親が飲食店を経営しており、裕福な家庭だったようです。
しかし、小学校2年生の時に両親が離婚。
父親が親権をもち一緒に暮らしますが、父親が再婚し、その後は母親と暮らし初めてたようです。
その頃、母親がモデルにスカウトされ、その現場に着いて行ったことをきっかけに芸能界に入られたようです。
小学6年生の頃に母親がモデルにスカウトされ一緒に撮影所へ向かう。その後、中学2年生からモデル活動を始め、CMにも出演していた。
Wikipediaより
その後、母親も再婚することになり、内田有紀さんは祖父母と暮らすことになります。
内田は幼い頃、両親が離婚。親族間をたらい回しにされた経験があるそうで、家族のぬくもりを人一倍大切に感じていたとも言われている。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1535447783317/
親族間をたらい回しにされ、大変な子ども時代だったようですね。
内田有紀の父親は飲食店経営者
内田有紀さんの父親は六本木で飲食店を経営していました。
現在はそのお店はもうありませんが、「六本木の朝」というお店でした。
タレントのモト冬樹さんの兄で、ミュージシャンのエド山口さんが、自身のYouTubeチャンネルで内田有紀さんの父親のお店のことを話していました。
(六本木に)ハニービーがあっておでん屋さんがいて、その隣の地下に「水曜日の朝」ってお店があった。
経営者が内田容三郎さんっていって六本木族に対抗して原宿族のリーダー。半グレ集団とかじゃないですからね。ファッションとか歌い手とかが集まったりする。
〜中略〜
その中学生の娘さんが女優の内田有紀ちゃんだもんね。
YouTubeより
六本木で当時有名なお店だったようですね。
父親の名前は内田容三郎さん
先ほどのYouTube動画でも、紹介されていますが、父親の名前は内田容三郎さんです。
他の方のブログにも、お名前が紹介されていました。
防衛庁の交差点よりの地下に『水曜日の朝』というお店があったの覚えてるかなぁ~。
そこのマスターが内田容三郎さん!
https://blog.goo.ne.jp/3341no/e/87f16a0407534990f22e3fbd5e3b726a
父親は髭がすごい
同じYouTube動画で、エド山口さんが、内田有紀さんの父親について、
「髭がすごい」
ニッカウイスキーのラベルにのっている男性のような髭だと語られています。
日本人でここまで髭が立派な方は珍しいので、髭で有名な方だったのでしょうね。
他の方のブログで、
「内田有紀さんの父親です」
と、紹介されている男性がこちらです。
髭だけでなく、佇まいも立派な雰囲気ですね。
父親は有名な遊び人グループのメンバーだった
1960年ごろ、六本木では「野獣会」と呼ばれるグループがあり、内田有紀さんの父親もそのメンバーでした。
六本木野獣会(ろっぽんぎ やじゅうかい)とは、すぎやまこういち、田辺靖雄を中心に構成されていたティーンエイジャーの遊び人グループ。
Wikipediaより
野獣会のメンバーには田辺の他に峰岸徹、中尾彬、大原麗子、ムッシュかまやつなどがいたと言われる。またデザイナー志望の若者もおり、最大30人前後で構成されていた。富裕層の子女が多かった。
Wikipediaより
富裕層の子女がメンバーに多かったとのことで、内田有紀さんの父親も裕福な家庭の息子さんだったのでしょうね。
内田有紀の母親は32歳でスカウトされた
先に載せたWikipediaの情報により、内田有紀さんが小学校6年生の頃、母親はモデルにスカウトされています。
20歳のころに内田有紀さんを産んでいるので、スカウト当時は32歳ですね。
32歳、子持ちでありながらスカウトされるとはとても若々しくおキレイだったと予想されます。
内田有紀さんも、歳を重なるほどますますキレイになったと言われているので、母親も同じように歳を重ねても美しい方だったのでしょうね。
こちらは、2008年ごろ、32歳の頃の内田有紀さんです。
内田有紀さんの母親も、スカウトされた当時、このような美しさだったのではないでしょうか。
母親の名前はゆうこさん
当時、内田有紀さんの母親を見かけた方がそのキレイさをブログに綴っていました。
防衛庁の交差点よりの地下に『水曜日の朝』というお店があったの覚えてるかなぁ~。
そこのマスターが内田容三郎さん!
奥様が内田ゆうこサン とってもあこがれてたなぁ~。キレイな人でした。
その頃、東京ジャイアンツという草野球のチームの名セカンドが実は私でした。
神宮外苑のグランドで早朝野球の試合がよくありました。
そこへ内田容三郎さんがお嬢さんを連れてよく応援に来てくれました。
そのときのお嬢さんが、内田有紀ちゃんでした。
https://blog.goo.ne.jp/3341no/e/87f16a0407534990f22e3fbd5e3b726a
母親のお名前は、ゆうこさん。
憧れられるほどのキレイさだったようですね。
母親は再婚後40歳で出産
内田有紀さんのWikipediaに、母親は再婚後に内田有紀さんの妹となる子どもを出産したことが書かれています。
再婚し自身が20歳の時に妹が生まれる。
Wikipediaより
母親は20歳の頃に内田有紀さんを出産しているので、第二子となる妹を出産された時は40歳です。
内田有紀の妹について
母親が再婚後に、20歳離れた妹が産まれた内田有紀さん。
まだ妹が小さかったころは、テレビや雑誌など妹の事をお話しすることもありました。
一人出来たんですけど。出来たっていうの変ですけど、私、今21で、妹が1歳になったんですね。それで、20歳離れた妹ができたんですよ。その子がいるだけで幸せなんですよね。
https://www.fujitv.co.jp/TKMC/VOL65/clamptalk.html
「その子がいるだけで幸せ」と、可愛がっている様子ですね。
2021年、雑誌STORYの撮影で、27年前の自分の等身大パネルとの撮影をされた内田有紀さん。
その時の感想が、「自分の妹と撮影しているみたい」だったのですが、おそらく本当に妹さんのことをイメージして言われた感想だったのでしょうね。
内田有紀は妹を溺愛
妹さんが一歳のころ、可愛いくて仕方がない様子をテレビ出演時に語っていました。
1997年、中居正広さんがMCを務めていたMUSIC CLAMPに出演された時にも溺愛ぶりが紹介されています。
中居:じゃあ、家に帰るのが楽しみだったりするんだ。
内田:だから、実家に帰って、妹の顔を見るのがすごく楽しみで。
中居:あ、そう。
内田:早く一緒に遊びたい。
https://www.fujitv.co.jp/TKMC/VOL65/clamptalk.html
今は単純にその子が笑ったり、泣いたり、はしゃいだり、私の顔をブニとかしたり、鼻グーッとやったり、そういうことがすごく幸せで。家族が一人増えたことが、血がつながった妹ができたことがすごい幸せです。
https://www.fujitv.co.jp/TKMC/VOL65/clamptalk.html
頭が大きくて、頭から落っこってっちゃうんですよね、歩こうとすると。それがまた可愛くて、もー。もう、何でも可愛いんですけど。
https://www.fujitv.co.jp/TKMC/VOL65/clamptalk.html
妹をとても可愛がっている様子が伝わってきますね。
また、血の繋がった家族が増えた事への喜びも伝わってきます。
今、妹さんは28歳になっています。
きっと今はお互い大人で、支え合える家族になっているのではないでしょうか。
妹が隠し子と勘違いされたことも
妹とのその歳の差から、連れて歩いていると自身の子と間違われてしまうことも多かったようです。
この前デパートで妹連れてたら、「あら?赤ちゃん?有紀ちゃんの?」 ってオバさんに言われて。「んなわけないじゃん!!」て思って。
https://www.fujitv.co.jp/TKMC/VOL65/clamptalk.html
妹のことを可愛がり、お出かけなども一緒にしていたようですね。
その時の目撃情報などから、隠し子がいるのでは?という噂がたったこともありました。
そんな噂がたつほど、一緒にお出かけしていたということでしょうね。
しかし、妹さんが赤ちゃんの頃から、テレビでたびたび自分の子どもと間違われるなどお話されていたことから、ただの噂なのでしょうね。
内田有紀の祖父母について
両親の離婚、それぞれの再婚後は、祖父母と暮らしていた内田有紀さん。
インタビューに答える際も、たびたび祖父母の話が出てきて、祖父母に可愛がられてそだった様子が伝わってきます。
大河ドラマ「軍師官兵衛」に出演された感想を聞かれた際は、
私自身、大河ドラマのファンでした。子どものころから日曜の夜は祖父と祖母と大河ドラマを一緒に観て育ってきました。
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/793178
朝ドラ「まんぷく」に出演された際は、
亡くなった祖母が、昔から朝ドラの大ファンでした。幼い頃から祖父母の家に泊まりにいくと、朝ごはんを食べながら一緒に見て1日が始まりました。出演が決まって、きっと喜んでくれていると思います。
https://www.oricon.co.jp/news/2121206/full/
と答えられました。
また、一番最初に俳優になりたいと思ったきっかけのエピソードについてテレビで語られた時、
私が幼稚園のころ東野英治郎さんが演じていらっしゃった『水戸黄門』の時代で、私が毎回見てたんですね、おじいちゃんと。
私のおじいちゃんに雰囲気が似てるんですよ、東野英治郎さんが。
大好きで「水戸黄門の世界に入りたい」ってずっといってたんですよ。
「入るにはどうしたらいい?」っていったら「俳優さんになれば入れるよ」っていって、「じゃあ、俳優さんっていうのになりたい」って感じ。
https://grapee.jp/721596
と、水戸黄門がきっかけだったと明かされました。
朝ドラ、大河ドラマ、水戸黄門と、祖父母と一緒に様々なテレビを楽しんだようですね。
祖父は、初代水戸黄門の東野英治郎さんと似た雰囲気だったようで。
このような雰囲気の方だったのでしょうか。
祖母は国語の先生だった
内田有紀さんは、祖母が国語の先生だったことをインタビューで明かしています。
うちの祖母が国語の先生だったんですね。言葉をすごく大切にする人だったんです。
https://mainichikirei.jp/article/20230120dog00m100001000c.html
その祖母が『いつも心に太陽を』っていう言葉をとっても大事にしていました。この言葉をいつも、私は胸に抱きながら今日まで来ていると思います
https://mainichikirei.jp/article/20230120dog00m100001000c.html
「いつも心に太陽を」
ステキな言葉ですね!
つらい出来事や悲しい出来事があった時も必ず『いつも心に太陽を』と思いながらやってこられたと語られていました。
また、祖母から「朝の果物は金」と聞いたことをきっかけに、朝、バナナやブルーベリー、キウイなどのフルーツと一緒にヨーグルトを食べる生活をずっと続けているようです。
これらのエピソードだけで、内田有紀さんの祖母がとても上品でキレイな方なのでは、と想像できてしまいます。
内田有紀さんのエピソードにたくさん出てくることから、内田有紀さんのことを愛情いっぱいで育てられた様子が伝わってきますね。
幼少期から、複雑な家庭環境で育ってきた内田有紀さんですが、そんな中でも大切にされ、前向きな気持ちで探してこられたのでしょうね。
これからのご活躍も楽しみですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。